Ⅲ.ダリア・オブ・エピソードダリアの自生地はその昔、
アステカ帝国でした。
その当時、現地の言葉で水笛(ストロー)を意味する『
アコクトリ(アココトリ)』と呼ばれ、
神聖な花とされていたそうです

1790年、メキシコ植物園のセルバンテス園長からスペインのマドリード植物園のカバ二レス神父宛に、種を送りました

その種は見事に開花し、のちに
アンドレアス・ダールという
植物学者にちなんで、
ダリアと初めて命名されます!
その後ヨーロッパの各地で、ダリアの
栽培及び品種改良が盛んに行われるようになりました。
そんなダリアにすっかり魅せられ、
ダリア狂になってしまった人物がいます(;´・ω・)
ヨーロッパを代表する偉人、ナポレオン…の
皇妃ジョセフィーヌ・ボアルネ様です

彼女はダリアの花を
独占的に育て、絶対に球根を
他者に譲ろうともしない…困った性分の持ち主でした。。
しかし!どうしてもダリアの花を咲かせたかった、侍女の1人が
盗みに成功 (やったね!侍女さん)
自分の美しいダリアが侍女の庭で咲いていることを知ったジョセフィーヌ様、多分
当初はヒステリック爆発だったことでしょう

…徐々に『ダリアが
自分だけの特別な花ではなくなった』という実感を覚え、ダリアへの愛も
冷め切ってしまったという話です…
やがてオランダ船に乗って、
日本へ渡来します(^^)/
明治時代半ばを過ぎると、様々な品種が伝わり、
栽培も盛んになり始めました!
さらに
明治末期、赤坂で
初めての品評会を開催し、ハイカラな西洋草花として知られるようになります


また
大正時代には『
日本ダリア会』が立ち、
昭和初期・
戦後に渡り流行っていたそうです。